ヒトライフ

独りの人の為のブログです

諦めること

 私の小学生の頃の将来の夢はバスケットボール選手になることでした。でも、いつの間にか自分にはなんとなく無理なんだろうと諦めていました。そして、子供ながらそのことになんの抵抗も感じませんでした。他にも今まで色々、ああしたいこうしたいという願望や夢がありましたが、いつの間にか諦めていました。

 なぜ、諦めるのかというと、それは願望を実現するためにすべきと思われる努力を惜しむからです。労力に対する成果が確信できない状況では打算がはたらいて、諦めることが多いのです。

 私はそれを全く後悔しませんし、これからもそうするのでしょう。ただ、ここで一つ、この諦めることについて疑問が浮かびます。それは、努力がともなうことであれば労力を惜しんで簡単に諦められますが、では逆に努力のいらないことを諦める場合はどうかということです。例えば、生まれながらの自分の性質や才能について諦める場合です。運命と呼ばれるようなこともそうかもしれません。

 具体的な例としては容姿がそうです。見た目が秀麗であるか醜いかは、生まれながらに決まっている要素が大きいですよね。努力で多少結果は変わるかもしれませんが、それでもどうしても埋められない差というのがわかりやすく存在しています。こういう、努力ではどうしようもないようなことに対して諦めるのは簡単なことではないと思うのです。実際大人になっても自分の容姿にコンプレックスを抱いてる人は少なくないんじゃないでしょうか。

 私が言いたいのは、努力でどうにかなることよりも、努力じゃどうしようもないことのほうが、むしろ諦めにくいという現実です。どうしようもないんだから諦めるしかないでしょう、ということを言う人がいますが、自分ではどうしようもないからこそ諦め難いのです。多分その理由は、自分で「諦める」選択をしたのではなく、諦めざるをえないという強制力が働いているからです。諦めることを強制されていることに、抵抗を感じるのです。

 だけどやはり、抵抗を感じるっていうのはストレスなわけですよ。だから、こういうストレスを感じずに、なるべく心穏やかに過ごすにはどうしたらいいかというと、諦めざるをえないことに対しても積極的に受け入れる心構えをもつことしかないと思うのです。正直、私には、その実現について、努力でどうにかなると思えない、それどころか努力の仕方すらわからないような願望が多いのですが、ここまでズラズラ書いてきたようなことを念頭に置いて、これからは心穏やかに諦めの境地に入ろうと思います。